ヒストリー
「国立大学の山岳部で山小屋をもっていないのはおかしい!」
部員からあがったこの一声で、黒沢ヒュッテの歴史は始まったと、当時油画科の女学生、野尻命子はそう回想します。しかし小屋を建てようにも大学は話を聞いてくれません。それならば寄付を募って我々の小屋をなんとしても実現させようと部員たちは一丸となりました。まずいくらくらいあればできるのか、〇〇万円もあれば良いのではないかというところからスタートしました。顧問の山本学治助教授を説得し、それならば皆で案を考えてみなさいとのこと。
いざ募金となると様々なところへ電話を掛ける訳だけれども、部長の横沢クマさん(横沢英一氏)を始め、松本出身のメンバーはみんな信州弁。東京生まれの私が標準語だということで電話係になって方々へ電話をかけまくりました。各研究室を回り寄付のお願いをしたのですが、〇〇先生は、そういうことなら、と〇〇万円を寄付してくれて皆びっくりしました。そうこうしているうちに目標の金額を上回り、俄然気運が高まりました。2022/11/21 野尻命子さんにヒアリング
ヒュッテの建設推進を担当したのは、当時山岳部の部長(今でいう顧問)であり、建築科の助教授だった山本学治。建築史家でもあり山男でもあった山本は、学生からは学ちゃんと呼ばれ親しまれていた。
建物の原案は建築科卒業間もない藤木忠善(現・東京藝術大学名誉教授 91)、現場で建設を推進したのは当時建築科助教授に着任したばかりの茂木計一郎(34)、そして平島二郎(31)の二人のOBと聞く。みな山本の呼びかけで招集された山とスキー好きの建築科OBだった。
竣工後すぐに皆喜んで宿泊したが、その時に一番高い窓のガラスが落下し、野尻さんの上に落ちたのだそう。幸いことなきを得たので今では笑い話に。この写真には、その抜け落ちた窓に板が写っている。
その後、屋根(というより2階)を架け直し、ここから長いヒュッテの歴史がスタートする。
年表
終戦後〜学生運動
西暦 |
和暦 |
築年数 |
トピック |
1949 |
S24 |
|
東京美術学校と東京音楽学校が合併し、新制 東京芸術大学 開校 |
1954 |
S29 |
|
山岳部草創期 年間の山行合宿基本形ができる |
1956 |
S31 |
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建築科助教授 山本学治 顧問教員となる |
1957 |
S32 |
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小池郁男(彫刻)入学・入部 S34年に山小屋建設委員長となる |
1958 |
S33 |
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部員20名 建設地を黒沢峠に決定 寄付活動 |
1959 |
S34 |
|
大町市平字黒沢の茅場を無償寄付契約 宅地330m2 山本名義 |
1960 |
S35 |
0 |
12/25 落成祝賀会 |
1961 |
S36 |
1 |
2月突風により2階より上が損壊、6月修復とテラス完成(相模組施工)現在の形になる |
1962 |
S37 |
2 |
7月新黒沢ヒュッテ完成、台所プロパンガス化 |
1963 |
S38 |
3 |
鹿島槍スキー場開設、電気切り替え |
1964 |
S39 |
4 |
デザイン科小松敏明により山ゼミ開始 ストーブ2台購入 |
1965 |
S40 |
5 |
1月 薪ストーブと風呂撤廃 |
1966 |
S41 |
6 |
1/7 3名が遭難(5月に発見される) |
1967 |
S42 |
7 |
風呂釜焼損 |
1968 |
S43 |
8 |
寝具ウレタンマット化 |
1970 | S45 | 10 | パンフレット発行 |
1971 | S46 | 11 | 修理費調達のためのOB会作品展 |
1973 | S48 | 13 | 中村秀太郎遭難 |
1974 | S49 | 14 | ベランダ改修 |
1976 | S51 | 16 | 11/7ベランダ改修完成、映画ロケに使用 |
1977 | S52 | 17 | 山本学治教授逝去 |
80年代〜現在
西暦 |
和暦 |
築年数 |
トピック |
1980 |
S55 |
20 |
小池岩太郎教授退官記念山岳ゼミ |
1982 |
S57 | 22 | 遭難碑建立(吉野毅作)、ストーブ煙突改修 |
1983 |
S58 | 23 | 専門家による屋根調査と補修、掃除機・洗濯機導入 |
1984 | S59 | 24 | スキー場がサンアルピナの経営となる、水道凍結防止電熱線 |
1985 | S60 | 25 | ガス配管交換工事、ベランダ床板一部張り替え |
1986 | S61 | 26 | 軒裏スレート補修、下水溜桝コンクリート工事 |
1987 | S62 | 27 | 小屋全体にカビ発生 |
1988 | S63 | 28 | 水源地用ポリタンク設置、水道管破裂 |
1989 | H1 | 29 | 全水道管交換 |
1990 | H2 | 30 | 食卓2台製作、電気配線改修、道の舗装 |
1991 | H3 | 31 | 食卓ベンチ製作(清水案) |
1992 | H4 | 32 | 簗場までのスキーコース開設、屋根重ね葺き(赤鉄板)、電話設置 |
1998 | H10 | 38 | 腐食したベランダの全面改修 OB30名作業 |
2003 | H15 | 43 | 小松敏明教授退官、水源地大掃除・土嚢積み |
2006 | H18 | 46 | 上野山の会(OB会) 200名、杜の会報に寄稿(小松敏明) |
2011 | H23 | 51 | 8月水源地コンクリート堰築造 |
2012 | H24 | 52 | 豪雨の土石流により林道被害 |
2015 | H27 | 55 | 募金によりバイオトイレ新設、黒川・柚木論文発表 |
2016 | H28 | 56 | 9/18「55周年記念の会」 |
2017 | H29 | 57 | 文化財申請、所有権を山本家より会長佐藤一郎へ移譲 |
2018 | H30 | 58 | 12月国登録有形文化財に登録 |
2019 | R1 | 59 | 杜の会報に寄稿(吉田昌功) |
2020 | R2 | 60 | COVID-19により活動禁止、小屋整備自粛 〜2022 |
2022 | R4 | 62 | 雪庇落下による北西バルコニー崩壊 柱の緊急補強 |
2023 | R5 | 63 | 12/4一般社団法人上野山の会設立 ヒュッテ修復に向けて本格始動 |
2024 | R6 | 64 | 大規模な修復のための募金開始 |